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4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page8

last update 最終更新日: 2025-03-06 15:01:10

 ――原口さんに食べてもらう分は、ウチに置いてあった男モノの食器に盛り付けた。

 この食器は潤と付き合っていた頃、この部屋に入り浸(びた)っていたアイツのために買い揃(そろ)えてあったものだ。

 アイツとは別れてしまったけれど、物に罪(つみ)はないので食器は捨てずに置いてあった。

 果たして、これを見た時に原口さんはどんな反応をするんだろうか? 私を〝未練たらしい女〟だと思うだろうか――?

「――あ」

 原口さんがサッパリした顔でダイニングに戻ってきた。

「洗面所お借りしました。――シェーバーがないのは……仕方ないですよねえ」

「あるワケないじゃないですか、そんなの」

 私は真顔でツッコんだ。女の一人暮らしでしかも、この二年間男性が(父も含めて)この部屋に泊まっていったことなんてないのだから。

「ですよねえ。ああ、僕ヒゲは濃くないので大丈夫です」

 何が「大丈夫」なんだかよく分からないけれど、彼が納得しているならそれでいいか。

「――じゃ、座って下さい。ゴハン食べましょう、ね」

 私と原口さんは二人掛けテーブルに向かい合わせで座り、二人で「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。

 ……のはいいとして。やっぱりというか何というか、原口さんから男モノの食器(主にお茶碗(わん)と箸)についてツッコまれた。

「そういえば、どうしてこの部屋に男モノの食器が置いてあるんですか? 先生って一人暮らしですよね。お皿やグラスはともかく」

 友達や家族がよく遊びに来るし、原口さんだって仕事でちょくちょく訪(たず)ねてくるので、お皿やグラス・カップ類が多くストックしてあるのは不思議に思われなかったらしい。

「ああ。それ、元々は潤のために買い揃えてあったんですけど。物に罪はないし、捨てるの勿体ないでしょ? まだ使えるのに」

 我ながら、言っていることが所帯(しょたい)じみているなと思う。結婚どころか同棲(どうせい)している彼氏もいないのに、主婦みたいだ。

「――そんなことより、味はどうですか?」

 彼に私の手料理を食べてもらうのは初めてなので、お味噌汁をすすっている彼に感想を訊いた。

「うまいっす。先生って家庭的なんですね。料理は上手だし、片付けも得意みたいだし」

「いえいえ! そんな」

 私は恐縮したけれど、内心ではすごく嬉しかった。……ただ、「先生って〝意外と〟家庭的」と言われ
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  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page9

    「うちの母も、よく二日酔いになる父のためにシジミ汁を作ってました。私が料理上手なんだとしたら、きっと母に似たんだと思います」「なるほど、そうなんですか。――お父様のご職業は?」 原口さんから、私の家族のことを訊かれたのも初めてだ。なんだかお見合いの時みたいな(経験はないけど)妙な気分になる。「父は大手商社に勤(つと)めるサラリーマンです。原口さんと一緒で下戸なんですけど、接待とか仕事上のお付き合いとかで飲まされることが多いらしくて……。会社員の人って大変ですね」 原口さんも同じ会社員だ。業種こそ違うけど、少なからずお父さんにシンパシーを感じたらしく、「はい」と頷いている。「私も父から、『作家なんて安定しない仕事なんだから、もっと実直な進路(みち)を選べ』って昔言われたんです。高校生の時だったと思いますけど」「そうですね……。確かに、無事デビューできても安定して売れ続ける作家さんは数少ないと思います」「でも昨日、私がバイトしてる本屋で私の最新刊、発売初日で入荷(にゅうか)した分が完売したんですよ! すごいと思いません!?」 私だって天狗(テング)にはなりたくないけれど、これだけは胸を張って言いたかった。「初日入荷分が完売!? それはすごいことですよ! もしかしたら重版されるかも」「でしょ!? だから私、自分の仕事に誇(ほこ)りを持ってるんです。父も最近は、私が作家でいることを認めてくれてるみたいで」「よかったですね、先生」「はい」 家族に内緒で作家をしているよりも、家族に応援してもらいながら執筆の仕事ができる方が断然いい。 ――昨夜から私と原口さんの距離が、ほんの少し縮(ちぢ)まった気がする。 私は原口さんの今まで知らなかった面を、原口さんは私の過去や家族のことを知れた。 本当にほんの少しだけど、彼に近付くことができたと思ってもいいのかな……?

    最終更新日 : 2025-03-06
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page10

    「――あっ、ねえ原口さん。ちなみに玉子焼きは甘いのとしょっぱい系、どっちが好(す)きですか?」 そういえば、彼の食べ物の好(この)みだって知らなかったな。この際(さい)だから、思い切って訊いてみようっと。「しょっぱい方ですね。甘いものは好きなんですけど、玉子焼きの甘いのだけは好きじゃなくて」「えっ、ホントに? 私もなんです! お寿司屋さんでも玉子は頼まないんですよね。甘いから」 すごい、何たる偶然! いや運命!? こりゃテンションも上がるってもんだ。「今度原口さんがウチでゴハン食べる時は、玉子焼き作りますね!」 別に「またウチに泊まっていって」っていう意味じゃなく、あくまでもお腹をすかせていたら放っておけないから。「本当ですか? 楽しみにしてます」 すると彼がフニャリと笑った。心からの喜びが現(あらわ)れたその笑顔に、私のハートは鷲(わし)掴(づか)みにされてしまう。――「楽しみ」って言われた! なんか急に原口さんの彼女になったみたい!「そそそそ、そんな! 楽しみにしてもらえるほどのものじゃないですけど。頑張って作りますね」 照れをごまかすため、私はすごい勢いで食べ進める。「……なんか、こういう朝の風景っていいですよね。〝共働きの新婚家庭〟みたいで」「はい……」 ほのぼのと言う原口さんに、私も思わず同意する。いつか、彼の言葉が現実になったらいいんだけどな……。「――ごちそうさまでした」 気がつくと、原口さんは朝ゴハンをきれいに平らげていた。「原口さん、ゴハンのお代わりは?」 私はもうお腹いっぱいだけれど,彼は遠慮しているだけなんじゃないかと思い、一応訊ねてみる。「いえ、もう十分頂きましたから。ありがとうございます」「そうですよね」 彼の分のゴハンが入っていたのは男モノの大きめのお茶碗だ。二日酔いでそれ一杯分食べたら十分だろう。 私が二人分の食器を流しに運び、手早く洗いものを済ませている間に、原口さんも帰り支度を済ませていた。「じゃあ、僕はそろそろ失礼します」 カバンを手に、彼は玄関へ。私も出勤時間までには少し時間があるので、彼を見送ることにした。「蒲生先生の件は、島倉編集長とよく相談してどうにか解決します。なので先生は心配なさらずに、ご自分のお仕事に集中して下さいね」「はい、分かりました。――あの、どうなったか、私

    最終更新日 : 2025-03-07
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page11

     玄関のドアがパタンと閉まる。少しだけ新婚気分に浸(ひた)っていた私は、現実に引き戻された。 時刻はもうじき八時半。そろそろ家を出ないとバイトに遅刻する。「――よしっ! 行くぞ!」 仕事着の上から薄手のカーディガンを羽織ると、気合いを入れるために両方の頬をパンッと叩いた。 トートバッグを提げ、仕事用の黒いスニーカーを履いて、キチンと戸締りをすると朝の爽やかな空気を吸いこみ、町へと飛び出して行った。 書店へ向かう道すがら、私は考えていた。 私は多分、自分の気持ちをうまく隠せていないから、原口さんにも私の想いはダダ漏れだと思う。……じゃあ原口さんは? 今のところ、彼が私のことを一人の女として見てくれているかは微妙なところ。それに、琴音先生との関係だってハッキリしないままだ。 私はこの恋に、望みを持っていてもいいのかな――?   * * * * ――その日から、私はバイト中にクレームを言われる回数が激減(げきげん)した。  お客様にご迷惑をかけてしまうことも少なくなり、清塚店長は私の働きぶりを温かい目で見守って下さるようになった。秘密のパソコン特訓が、功(こう)を奏(そう)しているらしい。「――奈美ちゃん、このごろ仕事が早くなったんじゃない?」  数日後。久しぶりにシフトが一緒になった由佳ちゃんが、バイト帰りに私をそう評価してくれた。「そうかなぁ? ……いやいや! 私なんかまだまだだよー」  謙遜はしたものの、やっぱり喜びは隠せない。 今日もお客様からご予約のあった商品の確認をお願いされたけれど、私は数日前と違って一人でどうにかやり遂(と)げることができた。「店長も、奈美ちゃんのこと見直してくれたみたいだし?」「うん。そうみたい」「恋の力って偉大(いだい)だよねえ……」「…………」 うっとりと言う由佳ちゃんに、私は絶句(ぜっく)した。思いっきり図星だったからである。 別に私は原口さんのために頑張っているわけじゃないけど。彼が間接的に私の頑張りの原動力(みなもと)になっていることは間違いないから。「最新刊も初日に完売だったしねー」「うん。おかげさまで、早速重版かかったって」「重版!? スゴいじゃん!」 由佳ちゃんが目をまん丸くした。それ以上に驚いたのが、誰でもないこの私だった。  昨夜、原口さんから電話がかかってきたの

    最終更新日 : 2025-03-07
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page12

    「この調子でさ、恋も仕事も頑張るんだよ! ……ああでも、本業の方が忙しくなったらバイトは続けていけるかどうか分かんないよねえ」「うん……、そうだね」   ――そっか。専業作家としてやっていけるようになったら、バイトを続けていく必要もなくなっちゃうんだ……。  原口さんは、私がいずれは専業としてやっていくことを望んでるんだろうか? ――私だっていつかは小説だけで食べていけるようになりたい。でも、それは結婚して家庭を持ってからでいいかな、と思っている。 まだ当分、バイトは辞(や)めたくない。この仕事にやり甲斐を感じているし、何より由佳ちゃんや他の従業員さん達と一緒に働けなくなるのが惜(お)しい。「大丈夫だよぉ、奈美ちゃん。そんなに暗い顔しないで!」「……えっ?」「心配しなくてもあたし、一緒に働けなくなっても奈美ちゃんの親友だし、巻田ナミ先生の大ファンでいるから! ねっ!?」  由佳ちゃんには、私がどんなことで悩んでたのか分かったのかな? 私を元気づけようと、彼女らしい言葉で励ましてくれる。「……ありがと、由佳ちゃん。――でも私、バイト辞めないよ」 胸がポカポカとあったかくなり、こみ上げそうになった嬉し涙を堪(こら)えるように、私はキッパリと宣言した。「えっ、そうなの? なぁんだ、よかった」 由佳ちゃんがホッと胸を撫で下ろしたように笑顔で言う。……と、次の瞬間。  ――ピンポン ♪「……ん?」  ケータイの短い着信音が鳴った。メールかな? LINE(ライン)かな? 私は自分のスマホをチェックしたけど、マナーモードのままなので鳴るわけがなかった。「……あっ、あたしのスマホだ。ちょっとゴメン!」  由佳ちゃんが立ち止まり、受信したメッセージに返信していた(〝歩きスマホ〟は危(あぶ)ないからね)。「――ゴメン、奈美ちゃん! メッセージ、彼氏からだった。『今から一緒にゴハン行こう』って」「えっ!? 由佳ちゃん、彼氏いたの!?」  初耳だった。彼女との友情は二年になるけれど、そんな話は一度もしてくれたことがない。「うん。まだ付き合って二ヶ月くらいかな。中学校の先生なんだけど、合コンで意気(いき)投合(とうごう)したんだ♪」「ええっ!? いつの間に……」 私が執筆活動にバイトにと勤(いそ)しんでいる間に、親友がリア充になっていたなんて…

    最終更新日 : 2025-03-07
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page13

    「それにさぁ、ナミ先生は恋愛小説書いてるじゃん? 話した内容、ネタにされるのもイヤだったしさぁ」「しないよ、そんなこと!」 私はムキになって否定した。――でも、ぶっちゃけて言えば、参考にできるものならしてみたいかも。……なんて思ってしまう作家の性(さが)が恨めしい。「分かった分かった! 冗談だよ冗談っ☆ んじゃ、あたしはここで。奈美ちゃん、またねー」「うん、お疲れさま」 ――私は由佳ちゃんと別れ、帰り道をブラブラ歩いていた。 この道には〈きよづか書店〉が入っている商店街もショッピングビルもある。――食べるものはまだ買わなくていいはずなので、帰るにもちょっと早いし、ウィンドウショッピングでもして帰ろう、と思って町を歩いていたところ――。「あれ? 奈美じゃね?」 もうずっと聞いていなかったけれど、記憶には残っているその声に、私は不意に振り返った。――この声、まさか……。「潤……なの?」 声の主は今年大学を卒業し、社会人になっているらしい(〝らしい〟というのは、学部が違っていたので別れた後は全く接点がなくなったからである)元カレの井上潤だった。 学生時代は茶髪で長かった髪は短くなり、黒っぽく染められて小ザッパリしているし、着ているのも社会人らしいグレーのフレッシャーズスーツだ。 でも、いくら外見が変わっても彼がまとうチャラい雰囲気(ふんいき)は二年前と変わっていないから、私にはすぐ分かった。「あ、やっぱ奈美だ。変わってねーな、お前は」「……変わってないのはアンタもでしょ」 今の私達は赤の他人なんだから、馴(な)れ馴れしく話しかけないでほしい。――まあ、それに反応する私も私だけど。「っていうか、なんでアンタがここにいんのよ?」 ここから私の住むマンションは目と鼻の先だ。学生時代に潤が住んでいたのはこの近くじゃなかったはずだけど……。「ああ。オレな、大学卒業(で)てから一人暮らし始めてさあ。んで、住むことになった部屋がたまたまお前んちの近くになったんだよ」「たまたま、ねえ」 本当だろうか? 私がこの町に住んでいることを覚えていたから近くの部屋に決めたとしか思えない。「就職はできたんだ? 職種は何?」 元カレとはいえ、潤がニートじゃないことには安心したので、とりあえず訊いてみる。とはいえ、職種なんて私の知ったこっちゃないけど。「営

    最終更新日 : 2025-03-07
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page14

    「〝あっそ〟って何だよ。自分から訊いといて素(そ)っ気(け)ねえのな。……まあいいや。お前はまだバイト続けてんだ?」「うん……、そうだけど?」 私はまた素っ気なく返した。 どうせ潤は本を読むのが嫌いだから、ウチの書店に買いにきたことなんかないくせに。雑誌を買うくらいなら、コンビニでこと足(た)りるだろうし。「せっかく夢叶(かな)って作家になっても、収入が安定しねえなんて大変だな。――あ、本屋のバイトも非(ひ)正(せい)規(き)雇用だっけか」 私は色んな意味でムカついた。 一つ目。お父さんと同じようなことを、この男に言われたこと。 二つ目。社会に出たばっかりのヤツに、非正規雇用をバカにされたこと。 三つ目。とどのつまり、この男が私に何を言いたいのか全く分からないこと――。「まあ、営業の仕事も給料は歩合(ぶあい)制だから、あんまり安定してるとは言えねえけどな」「……それじゃ説得力ないじゃん」 自虐(じぎゃく)をまじえて肩をすくめる潤に、私は呆(あき)れてツッコんだ。「私(あたし)は後悔してないよ。確かに今は兼業じゃないと食べていけないけど、自分のやりたいことを仕事にできてるって幸せなことだからさ」 自分の作品の原稿料と印税の収入だけじゃ心(こころ)許(もと)ないからと、原口さんは時々、他の作家さんとの合作やアンソロジーの仕事も私にやらせてくれる。 それでも収入が安定しないことに変わりはないのだけれど……。「そうなん? まあオレは、お前がそれで満足してるんならいいんだけどさあ」 ――潤と話していると、何だか二年前に戻った気がする。それは決してイヤな感覚ではなく、二年前はこのユルい関係が心地(ここち)よかったりしたのだ。――そう、この男が私に、あんな選択さえ迫らなければ……。「でもお前、あの後考えたことねえ? 〝もしあの時、別の選択肢(し)を選んでたら〟って」「え…………」 この台詞(セリフ)でやっと、私は潤の言いたいことが理解できた。彼はまだ私に未練があり、そして私が小説を選んだことを納得していないのだと。「……なかった、と思う……けど」 答えてから、考える。もしあの時、小説じゃなく潤の方を選んでいたら……と。 この男は私に小説家を辞めてほしがっていた。――私は果たして、彼の望む通りに志(こころざし)半(なか)ばで筆を折ること

    最終更新日 : 2025-03-07
  • シャープペンシルより愛をこめて。   4・縮まる距離、そして元カレとの再会 Page15

    「それは……、今すぐには返事できないよ。私、今好きな人がいるから。担当編集者の人」「そっか。付き合ってんの、そいつと?」「ううん、まだ私の片想い……だと思うけど」 私は一体、どうして悩んでいるんだろう? 原口さんのことは、まだ片想いだから諦められると思っているから? 潤とはヒドい別れ方をしたせいで、彼に申し訳なく思っているから? でも、まだこの男に未練があるのかと自分自身に愕然となる。せっかく、原口さんへの恋を頑張ると決めたばかりなのに。こんなことで心が揺れ動くなんてどうかしている。「…………分かった。オレ、いい返事期待してっから。連絡先変わってねぇから、心決まったら連絡して」「うん……」 ――潤と別れてから、私は自分でも何をやっているんだろうと呆れた。 元カレと再会して、好きな人がいるにも関わらず復縁を迫られて、心がグラついた。片想いだからって、本気で好きなんだと気づいた相手のことをそんな簡単に諦められるわけがないのに。 潤と元サヤになったところで、今度こそうまくやっていけるとは限らないのに。また同じことの繰り返しになるだけかもしれないのに――。「…………はぁ……っ。何やってんだ、あたしは」 ため息をつきながら、マンションの近くまで来ると――。「巻田先生、お疲れさまです」「……あ」 そこには原口さんが立っていて、私に気づくと丁寧(ていねい)に挨拶してくれた。

    最終更新日 : 2025-03-07
  • シャープペンシルより愛をこめて。   5・新たな一歩 Page1

     ――思えば、彼と顔を合わせるのは彼が朝帰りをしたあの日以来だ(電話では話したけれど)。しかも、元カレとの再会からの遭遇(そうぐう)だもんで、私にしてみれば気まずいことこのうえない。「今日もバイトだったんですね」「あ、はい」 なのに、彼はいつもと全く変わらない調子で話しかけてくる。私だけが気まずいのもなんかヘンだ。「……えっと、原口さんは? 今日はどうしたんですか?」 私は首を傾げてみせる。蒲生先生の件だって、あれだけ「私にも知らせて」って言ったのに。待てど暮らせど連絡をくれなかった。「あれ? 四時ごろからずっとお電話してましたけど、留守(るす)電(でん)になってたので……」「えっ、マジで!? ……わっ、ホントだ」 慌ててスマホを確かめると、『着信五件』の表示が出ている。もちろん全て原口さんのケータイからだった。 そういえば、バイトが終わってからもマナーモードを解除し忘れていた。潤と話し込んでいた時にも、何回かヴーヴー震(ふる)えていた気がする。「ゴメンなさい! ずっとマナーモードにしたままだったから、気づかなくて」 これは完全なる私の落ち度だ。だから低(てい)姿勢(しせい)に謝るしかなかった。「いつもはバイト終わったら、マンションに着くまでの間に解除してるんですけど」「ということは、今日に限って何かあったから解除できなかったんですか?」「あ……、えっと……」 原口さん、鋭(するど)い! 私は彼に何もかも見透かされている気がして、咄嗟に言い訳が思いつかない。苦し紛(まぎ)れに訊いてみる。「どうして『何かあった』って思ったんですか? ただうっかり忘れてただけって可能性もあったでしょ?」「まあ、確かにそうなんですけど。なんか冴(さ)えない表情なさってるのでそうじゃないか、と」「…………」 やっぱり私は、何かあるとすぐ顔に出てしまうらしい。これじゃ何考えてたってすぐバレるっつうの。「っていうか原口さん、〝浮かない〟の次は〝冴えない〟って! ボキャブラリー乏(とぼ)しすぎでしょ!」 私は彼の語彙(ごい)力のなさにツッコんだ。「いいでしょう、別に。僕は編集者であって作家じゃないんですから。――それより、今日先生にご連絡差し上げたのは、色々とご報告したいことがあったからなんです。蒲生先生の件も含めて」 彼は半ギレ状態でつっかかって

    最終更新日 : 2025-03-07

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page9

    「――なるほどねえ。今回の仕事にアンタが気合入ってる理由が分かったよ」「へ?」「好きな人のための仕事だもんね。そりゃ気合も入るってもんだわ」「……うん」 もっと冷やかされるかと思ったけど、美加は親友らしい言い方で私を気遣ってくれた。「アンタは昔っからムリして男に合わせようとするとこあったけど、今度は大丈夫そうだね。同じ小説を愛する者同士なら」「うん」 彼女はよく知っている。私の過去の恋は、ほとんど私が背伸びをしすぎたせいでダメになっていたことを。でも、今回は背伸びする必要なんてない。原口さんはもう二年以上、こんな私をすぐ近くで見ていたのだから。 私と美加は、氷が解けて少し薄くなったアイスカフェオレを飲んだ。お互いに喋りまくっていたので喉がカラカラなのだ。「――でもいいなー。小説家の想い人が編集者さんなんて。まんま小説の世界みたいでロマンチックだよねえ」 うっとりと目を細める美加。夢を叶えたとはいえ、雇われの身である彼女はこういう世界に憧れるのかもしれない(それを言うなら私もバイトとして雇われている身だけど、それはこの際置いといて)。……でも。「作家の世界ってそんなにキラキラしたものじゃないよ? 現実はけっこうシビアなんだから」 この二年、現実(リアル)に作家をやってきた私だから分かる。印税だけで優雅(ゆうが)

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page8

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page7

    「それはさあ、〝新たな試み〟ってヤツなんじゃないの? 〈ガーネット〉と違って作家の素顔も知ってもらおう的(てき)な」「あー、なるほど」 美加がどうして作家業の私以上に出版業界の内情に詳しいのかはさておき、彼女の推理はあながち間違ってないかもと思った。 〈ガーネット〉は秘密主義のレーベルで、作家のプロフィールは顔写真も含めてほとんど公開されていない(知り合いがファンなら顔を知られていても不思議はないけど)。 だから、作家がファンと直接触れ合える機会(サイン会とか)もない。原口さんにはそれも不満だったんじゃないかと思う。「――さて、じゃインタビュー始めるね」 私はバッグからプロット用ノートとペンケースを取り出し、ノートのページを開く。「オッケー☆ で、どんなこと聞きたい?」「えーっとねえ。美加から見て、私ってどんな子だったと思う?」 お父さんとお母さんにも同じ質問をしたけれど、親と友人とでは見え方も違うと思う。「そうだなぁ……。〝まっすぐ〟っていうか〝猪突(ちょとつ)猛進(もうしん)〟っていうか。いつも夢に向かって一直線な感じだったね」 それ、両親とほぼ同じ答えだよ。――私はシャープペンシルを握ったまま固まった。「あー……そう。他には?」 せっかくのインタビューなんだし、もっと別の言葉が聞きたい。「うーんと、読書好きで、いつも何か書いてたよね。わき目もふらずに作家になることばっかり考えてるなあ、ってあたし思ってた」「それって褒めてるの? 貶してるの?」 私は書き留めようとした手を止め、口を尖(とが)らせた。「いや、もちろん褒めてるんだよ? アンタのそういうところ、羨ましいなあって思ってた。あたしも負けてらんないなあって」「……そうだったんだ。そりゃどうも」 一応褒め言葉らしいので、私はそれをノートに書き留めた。 〝いつも夢に向かって一直線〟 〝読書好きで、いつも何か書いていた〟 いざ文字にしてみると、自分のこととはいえ何だか照れ臭い。でも、これが自分を俯瞰するってことなのかもしれない。「――そういや、どうでもいいんだけどさ。奈美って今でも原稿手書きなんでしょ?」「……? うん、そうだよ?」 何を今更。美加は前から知っているはずなのに。「じゃあさ、大学の卒論(そつろん)は?」 卒業論文……。確かにあれが教授に認められ

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page6

    「電話した時にちゃんと説明すればよかったね。――今日私が美加に訊きたいのは、昔の私自身のこと。この結婚式場とは何の関係もないの」「ほえ……、〝取材〟ってそういうこと。あたしはてっきり、ウェディングプランナーがヒロインの話でも書くのかと」 ……おっ。美加、ナイスパス! まさかこんなところで小説のネタをゲットできるなんて! 私は内心ガッツポーズを作りつつ、話をさりげなく元に戻した。「その案は次の機会に使わせてもらうけど。――実は私、八月にエッセイを出版することになって。今日もお昼まで実家にいて、両親に話聞いたりしてたの」「なるほどねー、〝過去の自分への取材〟ってワケか。それであたしを訪ねてきたんだねー」 美加は私を、事務棟の中にある小さなカフェスペースに連れてきた。「ここね、あたし達スタッフが休憩取ったり仕事の打ち合わせに使ったりしてるの。ここでならゆっくり取材できるでしょ?」「うん。ありがと、美加」 ここには椅子もテーブルも備(そな)わっている。ベンチで横並びよりはゆったりと話を聞けそうだ。「――じゃああたし、自販機で飲み物買ってくるよ。アイスカフェオレでいい?」「うん」 ホットにしなかったのは、彼女も私が猫舌なのを覚えてくれていたからだろう。「――お待たせ。あたしも同じのにした」 美加は紙コップを二つ、テーブルに置く。「ありがと。……あ、お金――」 私は財布の小銭入れを探(さぐ)った。せっかく取材を受けてくれるのに、取材費は払えないからせめてコーヒー代くらいは返さないと。……と思ったけれど。「あー、いいよいいよ。それより、エッセイの話、詳しく聞かせてくんない?」 美加はやんわりとそれを断り、私の向かいに座って自分の分の紙コップを引き寄せた。 私もアイスカフェオレを一口飲み、今回エッセイ執筆を依頼された経緯を話した。「――ふーん? 出版業界もけっこうブラックなんだねえ。原口さんって編集者さん、なんかかわいそう」 美加は何でもズケズケ言う性格(タチ)なので、圧力をかけてきた蒲生先生に怒っているのかと思いきや、意外にも原口さんに同情的な感想を漏らした。「でもさあ、転んでもタダじゃ起きない人みたいだね。異動を逆(さか)手(て)に取って、新しいレーベル始めちゃうなんてスゴいよねー」「うん、それは私も思った」 パワハラに屈するどこ

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page5

     実家を出たその足で電車を乗り継ぎ、私は新宿にある美加の職場へ。 ――ジューンブライドにはまだ早いけど、結婚式場のチャペルには式を挙(あ)げている幸せそうなカップルと、彼らを祝福する大勢の参列者がいた。 今日がいいお天気でよかった。人生の新たなスタートを切った二人の未来が明るいものになるようにと願いつつ、私は美加が働いている事務棟(とう)に入っていく。「――あ、奈美! 今日は来てくれてありがと! 待ってたよ~!」「美加ー! 久しぶり~~っ!」 エントランスで待ってくれていた美加と私は、ここが彼女の職場だということも忘れて会った瞬間に抱き合った。時間が一気に高校時代に戻った気がする。「奈美、元気そうだね。本読んでるよ、あたし!」「ありがと、美加! 仕事中にゴメンね!」 結婚式場のユニフォームである紺色のスーツを着ている彼女はすごく誇らしげだ。首元のオレンジ色のスカーフが眩しい。「いいってことよ☆ 上司にはちゃんと言ってあるから。『今日、作家の巻田ナミ先生が取材に来るんです』って」「美加ぁ~……」 確かにその通りなんだけど、お願いだからハードル上げるのはやめてほしい。「ウチのチーフがね、巻田ナミの大ファンでさ。奈美が来るって聞いた途端にテンション上がりまくっちゃって」「へえ、こんなところにも私のファンがね」 親友の上司も私の本を読んでくれているなんて。世間(せけん)って狭いというか何というか。「っていうかあたし、奈美が一人で来るなんて思ってなかったよー。てっきりついでに彼氏でも紹介してくれるもんだとばっかり」「いないよ、彼氏なんて」 私はキッパリ否定した。というか、どこの世界に恋人を取材に連れてくる作家がいるんだろうか。……いや、探せばいるかもしれないけど。「だってさあ、アンタのその格好がなんか気合入りまくってるから」「あー、そういうことか」「……は?」 さっき実家で、「予定がある」って私が言った時に両親が「デートか?」ってやたら騒いでいた理由がやっと分かった。 私が今日着ているのは七分袖のフワッとしたカットソーに白のチノパン、そしてスニーカーではなく若草色のフラットパンプス。実家に帰るだけならまだしも、「取材だから」とやたら気合を入れてめかし込んできたら、誤解を生んでしまったらしい。「ううん、こっちの話。――あ、そうそう

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page4

    「いや、〝迷惑〟なんてとんでもない。その頑固さがあったから今のお前がいるんだろ? もし父さんの言いなりになってたら、お前は今頃悔(く)やんでたんじゃないか」「……うん、そうかもね」 私は元々、刺激のない毎日も、誰かに使われるのも好きじゃない。性(しょう)に合わないのだ。 普通に就職して会社勤めをしていたら、確かに安定はしていたと思う。毎月キチンとした収入が入り、正規雇用で将来も安泰(あんたい)。 でも私は、誰かのご機嫌(きげん)伺いをしながら退屈な毎日を送るなんてまっぴらごめんだった。やりたいことがあるなら、それを仕事にするのが一番いい。生活は大変だけど、認められた時の喜びは大きいしやり甲斐もある。「私、作家になったこと後悔してないよ。楽しいことばっかりじゃないけど、自分が選んだ道だもん」「そうか。それを聞いて安心したよ。父さんも母さんも、これからも応援してるからな」「そうよー。困ったことがあったら、いつでも連絡してらっしゃい」「うん! 二人とも、ありがと!」 やっぱり、家族が味方っていいな。小説家って孤独(こどく)な職業だけど、こうして支えてくれる人達がいるから「私、一人じゃないんだ」って思える。それってすごくありがたいことだと思う。「――そろそろお昼の準備しなきゃ」 母が壁(かべ)の時計を見て言った。時刻は十二時五分前。あれだけのアルバムを見て、両親に話を聞いていたら、もうそんな時間になっていたのだ。「チャーハンとスープでいい?」「うん。――あ、手伝うよ」 母と二人で台所に立つのもお正月以来だ。でも、独(ひと)り立ちしてからずっと自炊をしているから(たまに手抜きで外食やテイクアウトも利用するけど)料理の腕は日に日に上達している……はず。 親子三人で食べる久しぶりのゴハンは、楽しい両親のおかげで賑(にぎ)やかだった。 お昼ゴハンが済むと、私は後片付けを手伝ってから実家を後にした。「今日はありがと。慌ただしくてゴメンね。またゆっくり来るから」 出がけに玄関まで見送ってくれた両親にお礼を言うと、母に逆に謝られた。「こっちこそ、大した手伝いもできなくてゴメンね。美加ちゃんによろしく伝えてね」「うん。伝えとくよ。じゃあまたね!」

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page3

     ――麦茶のグラスを置くと、私はアルバムの山を抱えてソファーに戻った。「重いだろ? 父さんも手伝おうか」「あっ、ありがと。助かるよ」 父にも手伝ってもらって、全部のアルバムをソファーに運び終えた。「ゴメンね、お父さん。狭くなっちゃたけど……」 ソファーの上をほとんどアルバムに占領(せんりょう)されてしまい、端っこに追いやられてしまった父に、私は申し訳ない気持ちになった。「いいって、気にするな。父さんはカーペットの上にでも座ってるから」「うん……、お父さんがそれでいいなら」 この家の主(あるじ)は父なんだけど、本当にいいのかなあ?「――さて、どれから見ようかな」 アルバムは小・中・高校・大学の卒業アルバムからポケットアルバムまであり、卒アル以外はいつ撮(と)られた写真かすぐに分かるように背表紙にラベルシールが貼られている。 ここはやっぱり年齢順でしょうと、私はまず幼い頃の分を開いた。「わあ、懐(なつ)かしいな。私、小さい頃ってこんな感じだったんだー」 お宮参り、お食い初(ぞ)め、初(はつ)節句に七五三。保育園の入園式にお遊戯(ゆうぎ)会。何かの節目(ふしめ)や行事のたびに、私の両親はフィルムのカメラやデジカメで私の写真を撮ってくれていた。「――あ、コレ……」 大学時代の写真は半分以上、潤との2(ツー)ショット写真だ。私が自分のスマホで自撮(じど)りした写真をコンビニプリントしたのだ。 その中には、成人式の時に二人で撮ったものもある。潤と別れる数ヶ月前の写真だ。アイツと二人、こんなにいい表情(かお)をして笑っていられた時期もあったんだなあ……。「――奈美、少しは参考になった?」 大学の卒アルまで見終えると、母がそう訊いてきた。「うん。おかげで私、自分がどんな人間なのか客観的に分かった気がする」 自分自身を第三者的な目で俯(ふ)瞰(かん)する機会なんてめったにないから。この仕事を通じていい機会をもらえたと、原口さんに心から感謝したい。 ――そうだ! ちょうどいい機会だし、両親に改めて訊いたことがないからこの際訊いてみよう!「ねえ。お父さんとお母さんから見て、私ってどんな子だった?」 クッションを抱き締め、私は初めて両親を〝取材〟した。――ノートと筆記具を出そうかとも思ったけれど、両親相手にそこまでするのは大げさかな、と思った

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page2

    「――お茶が入ったわよー」 母がお盆を持って居間に来た。そして自分と父の前には湯呑(の)みを、私の前には冷たい麦茶が入ったグラスを置く。私が猫舌だということを、ちゃんと覚えていてくれたらしい。「ありがと、お母さん。――あの、アルバムも。大変だったんでしょ?」「娘がいい作品書くためだったら、親ならこれくらいの協力惜しまないわよ。ね、お父さん?」 母に水を向けられ、父も頷いた。「ああ」 私っていい両親を持ったなあ。――そうしみじみと実感しながら、私はグラスの麦茶を飲んだ。「――今日はゆっくりしていけるのか?」「そうよ、奈美。今晩泊まっていったら?」 その両親が、矢(や)継(つ)ぎ早(ばや)に訊ねてくる。「ゴメン、二人とも! 泊まっていくのはムリなの。明日はバイトあるし、今日も午後から予定があって……」「予定って、もしかしてデートか?」「あら! あんた、そんな男性(ひと)いるの?」「いないよ、そんな人っ!」 私は麦茶を噴きそうになった。確かに好きな人はいるけれど、原口さんはまだそんな人(=(イコール)デートする相手)には当てはまらない。――私の中では〝予定〟もしくは〝候(こう)補(ほ)〟ではあるんだけど。「そうじゃなくて、友達に会いに行く約束してるの。――中(なか)野(の)美加(みか)ってコ、覚えてるでしょ?」「ああ、美加ちゃんね? 覚えてるわよ」 美加は私と小・中・高校まで一緒だった幼なじみの親友で、この家にもよく遊びに来ていた。「美加ね、この春から新宿(しんじゅく)の結婚式場で働いてて。今日も出勤してるらしいから、職場まで会いに行くことになってるの」 彼女は高校を卒業後、「ウェディングプランナーになる」という夢を叶えるべくブライダル関係の専門学校に進み、先月晴れて今の職場に就職できたのだと、本人からLINEをもらった。「そうか……、残念だ。久しぶりに帰ってきたと思ったのになあ」「そうねえ。――でも早いものね。美加ちゃんももう社会人なんて」  ……そっか。私の同級生だった子はほとんどみんな、今は社会に出てるんだ。私みたいに非正規だったりもするけど。「うん……。――あー、でもお昼まではこっちにいるから。アルバム見せてもらって、お昼ゴハン食べてからここ出るね」 親子三人揃ってゴハンを食べるのも久しぶりだ。普段は一人淋しく食事

  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page1

     ――土曜日。私は母に電話した通り、墨田(すみだ)区内に建つ実家に帰った。 この家は二階建ての建(た)て売(う)り物件で、そんなに立派じゃないけれどちゃんとした父の持ち家だ。作家デビューするまでの二十年ちょっと、私はこの家で育ち、大学にもこの家から通(かよ)っていた。 そして、洛陽社からの大賞受賞の連絡を受けたのも、この家でだった。「――ただいま、お母さん!」 帰るのは実に数ヶ月ぶりとなる実家の玄関で、私は出迎えてくれた母に笑顔で言った。 前に帰ってきたのは今年のお正月だった。バイト先である〈きよづか書店〉もちょうどお正月休みで、その頃連載の仕事(今月出た新作の一コ前)を抱えていた私は実家に書きかけの原稿を持ち込んで、自分の部屋で仕事をさせてもらっていたっけな。「お帰りなさい、奈美。お父さんなら居間(いま)にいるわよ」「うん。ありがとね」 私は居間に向かう。母は「お茶でも淹れてくるわね」と台所に消えた。 母は四十八歳。今でも現役(げんえき)で高校の国語教師をしている。父は母の二歳年上で、大学時代の先輩後輩らしい。社会に出てから再会して、付き合い始めたんだとか。「――お父さん、ただいま。久しぶりだね」 居間のソファーに座ってTV(テレビ)を観(み)ていた父は、私が声をかけるとリモコンでTVの電源を落とし、嬉しそうに顔を綻(ほころ)ばせた。「お帰り、奈美! 元気そうで何よりだ」「うん、元気だよ。――ごめんね。お休みの日に、しかもこんな朝早くに」 今は朝の九時半。父も本当はもっとゆっくり寝ていたかっただろうに。私のために早く起きてくれたのだとしたら、ちょっと申し訳ない。「いやいや、気にするな。父さんがな、お前が久しぶりに帰ってくるって母さんから聞いて、楽しみで早く起きちまっただけだ」「そうなんだ?」 私もソファーに座った。居間のカーペットの上には、私がお母さんに頼んであったアルバムが山のように積(つ)んである。大小も、厚みもさまざまだ。「――ああ、それな。さっき母さんと二人がかりで家の中ひっくり返して見つけてきたんだ。大変だったぞ」「そっか……、ありがと。感謝します」 父とは、進路を巡(めぐ)って対立したこともあった。でも私は、父を恨(うら)んだことは一度もない。今思えばあれは、娘が心配な親心からだったんだと思えるから。

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